人間とはってはなし
人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。
上手くいってないときに「こんなはずじゃない」と考える人
上手くいってないときに自覚をして「どうしようかな」と考えられる人
こんなはずじゃなかった、そうじゃないって思ってわたわたする人と
「やっべ!くるぞ壁。きたきた壁!さーやってやろうじゃないの」となる人と
後者でありたい、いたい。
そっちのがたのしーし、つよい。
今の自分はどうなのかなと
さ、ご飯食べてリフレッシュして気合いれよ!
感情が邪魔。
感情を殺したいって思うときが最近あるんですが。笑
イライラしたり
悲しんだり
落ち込んだり
でも笑ったり
楽しいなって思ったり
本当に感情起伏が激しすぎる性格で、自分でも嫌だな~と思ってまして。。
でも自分のレベルで物事判断しても成長しないとはわかってるつもりなので
イライラしたり失敗してすげー自信なくなったりする自分に振り回されるのも疲れる
感情なくしたいなっていう思いが出てきました。
文面に表すと怖い。
命の母かな。。。
でもできるひとはすべてをコントロールできることを知っている、ということを聞いて
自分や物事を俯瞰する能力があるからこそ、自分をコントロールできるのかと
私はそのスキルの1ミリでも獲得出来ているのかなと考えると事実全然ないなって。
己をコントロール出来ずになぜメンバーをコントロールできるのかってことで。
本日も気合いれてがんばります。
伝え方が9割
正確には、「頭がいい人は、相手に説明をする目的と、相手にどこまで理解させる必要があるかを見極めることが上手い」
会話に主語がないよ、って指摘される人も今までよく見てきたしよく自分も指摘されます。
出来る営業マンとかを見ると「わかりやすいたとえ方するな~」と思います。
「あれは「分かった気になってもらう」為の説明。君には分かった気じゃなくてちゃんと分かってもらわないといけないから、あれ聞いて「分かりやすかった」とか言われちゃうと困ります」
っていう記事の内容も面白いですね。
へえ、となんか高尚な技術の一つかと思いました。
言い回しや伝え方などはよく指摘をされるので
主語や結論を話します。なんか低レベルだけど、ちゃんと一つ一つやらないと。
自分で作る
彼女たちにモチベーションと呼ぶべきものは見当たらなかった。なにせほぼ毎日「仕事するの嫌やわ−」と言っているのだ。
だが、彼女たちは実によく働いていた。その代理店の成績、顧客満足度は、全国でも有数のレベルであった。
その代理店のおばちゃんの一人は言った。
「仕事は嫌だけど、お金をもらってるんだから、きちんとしなきゃ。」
顧客目線って本当に大事ですよね。
お客さまの目線にたって考えること
飲食のバイトのときはよく考えたもんだ、トレンチの持ち方とかお皿の下げ方とか
今と根本は間違ってないんだ
じゃあどうして出来ないのか
自分のフィルタがかかってしまっているんだろうなと。
怖い、自分のフィルタ怖い。
可能なのに不可能に思ってしまう事実、
本当自分の思考で考えるのやめよう。
能動的に修羅場
"「圧倒的な」当事者意識とは、自分の持ち場を越え、分をわきまえないことを意味します。他者からすれば一瞬余計なおせっかいと思われても、顧客や事業価値向上に貢献すると思えば実行し、成果にも責任を持つことです。これが「圧倒的な」という言葉に込められています。"
" よく、上司が部下に修羅場を経験させ、試練を与えることが部下を育成するための近道であるという言い方がされます。しかし、リクルートにおいては、修羅場は与えられるものではなく、自分でつくるものです。みずからすすんで修羅場を体験することでしか、本当の意味での成功も失敗も経験できないし、本当の意味での人材育成につながらないからです。組織が提供する人材育成の「型」にはめるだけでは、みずから修羅場をつくるような人材は育たないのです。"
与えられたミッションと目標を超えるのは普通であって。
その中でもどう「圧倒的に」超えるかどうか考えられる人は強い人はいう。
またその上で自分で目標(修羅場と表現)を作って超えていく。
自分を守りながら生きるのってよく考えたらつまんない。
最近、自分はいい子ちゃん精神働いていたことに気付きました。
笑っておけばおけ、うなずいておけばおけ、的な。処世術みたいな。
つまんないよね、素直に生きてこう本当。
お飾り人生に終止符!
Sense of responsibility
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自分の仕事・行為についての責任を重んずる気持。
責任感とは。
ふむ。
責任感が強い人の特徴
自分がやると言ったことに対して、なんとしてもやり遂げるという強い意志を持つ
出典
責任感が強い人は、決して投げ出さない強い意志を持っています。
業務完遂の確立が高い
出典
責任感が強いとは、与えられた責務に対して見通しがよく、
責務遂行に対する意思決定、課題解決方法の考案、立案、計画実行の具体的能力を有する事を意味します。
つまり、責任感が強い人は自分自身の業務完遂への意志と時間の使い方(行動)を高い次元でコントロールできるという事です。真面目
出典
一般に言われることの一つに、責任感の強い人は真面目な人が多い、ということがあります。これは真面目な人は物事をきっちりと進め、納期や内容についても誤りのないよう細心の注意を払う姿勢が、責任感の表れとして評価されているのではないかと思います。
すべてを自分事と捉えている
出典
職場においては同じ部署の誰かが、仕事のミスをしたときなど
「他人のことだから自分には関係ない」とは考えずに、
「同じ部署の人間がミスをしてしまったが、これは部署全体の責任だ」と捉えます。目標に向けての段取りを素早く組む
出典
責任感がある人は与えられた仕事などに対し、最終目標を掲げ、そこにたどり着くまでの様々な段取りをいち早く組み立てます。
ふむ。責任感がないなあと自分の言動や行動を顧みて思いました。「自分はやったのに」「いや、伝えたつもりでした」責任感がないことはいけないことだと概念はいくらでもわかりますが実質責任を持つということは、その場が一瞬苦しくて簡単に逃げてしまう軽率な発言をしてしまうことが多いですね。自分はやったんだって、思う。だってホントにやったんだもん。て。でも俯瞰すると、相手に伝わってなかったり、事実やってないことが多い。どうやったら事実に気づくのか。行動や仕組みに落としていくしかないんだろうけど、どれが一番いいのかな~なんて。悩みます。気づかせてあげるのも責任者なのにそれに気付けない責任者である。日々成長だ~
習慣化する
土日は本をヨミました。
あ、変換が。
読みました。
1日24時間っていうのは平等なはずなのにどうして差が出るのかって思うと
元をたどれば無駄が多い。
生産性の真反対のことをしてしまっている。
無駄の極み。
どうやったらタスクが進むのかなって前にマネに相談したときに
「無駄をなくせよ」と言われ
何が無駄で無駄じゃないのかの取捨選択がよくわからないままにしてしまいました。
・選択肢を増やさない
決断するまでのフローってエネルギーを使う。
決断するまでにエネルギーを消費しちゃう
なので出来る人は決断も早いのでそんなにエネルギーを使わない。
選択肢を増やさずに一本決めて完遂していく。
即座に決断するように意識して、それが次第に習慣化していく。
習慣化することが一番なのだと。
決めの問題とかもよくいうけど
一個決めたことを正解にする力ってよいなって
あー普段の行動からも一つきめてそれを正解にしていくことが必要だし
仕事全体でもそうなんだなって
未熟さを知ろう